世間はどのくらい狭いのか | excite
平均して5.5人の人を介して見ず知らずの目的の人物へたどり着いたという実験がある.
面白い実験だけど,それはちょっとずれてないか?
確かに街で知人に出会ったりすることはあるけど,この実験は世間の大きさを示すものじゃないと思う.
でも本題に入る前に,この実験のカラクリを考えてみる.
この事実はそんなに驚く事ではない.
以前テレビ番組で「友達の弟の知り合いの…(中略)…が芸能人」という話をよく聞くが,本当なのか?という実験をやっていたのを見たことがある.
それも5人行くか行かないか位で芸能人にたどり着いた気がする.
すごいと思うが,こう考えたら案外当然の結果ではないだろうか.
“友達の友達”と知人を増やしていったときに選択される人数は指数関数で増えていく.
つまりそれぞれの人が全人口からある2人を選ぶと1人が2人を選び,その2人はそれぞれ2人を選ぶので1→2→4(=2^2)→8(=2^3)とどんどん増えていく.
3人介せば8人が候補に上がる.
アメリカの人口は2億8,142万人(2000年、50州)らしい.
単純計算であるが35^5.5≒3億1千万となるので,1人1人に35人の友人知人がいれば済む.
社会人なら35人くらい友人知人が要ると思う.ちゃんと紹介者と被らないように選択したとしても.
これがこの実験にそれほど驚く事はないと考える理由である.
そして本題.
この実験は“世間の狭さ”を示してはいないという考えである.
この実験は知り合いを5,6人介せば誰にでも行き当たるということを示しただけであって,
世間の狭さとは違うと思う.
私たちが普段”世間は狭いなぁ”と考えるときは出先で知人と出会ったりした時だ.
アメリカに比べて国土の小さい日本でさえ全土を行き来する人はあまりいない.
人の行動範囲は国土の広さから見ればたいした範囲ではないと思う.
しかしこの実験では住所がかかれているのでその地域の人へ送ってしまえば目標の人への距離はグッと近づく.
自分が行った事がない県でも友人の中にその県出身の人はいるかもしれない.
人の行動範囲と,交友関係の範囲は全く別なのに同じ物として実験してしまっている.
これでは証明できていないのでは?
結論として,世間は狭いのか,広いのか…
世間という領域の区分に人の行動範囲の要素がすでに含まれている気がするので,
行動範囲が狭い人の世間はやっぱり狭い.
しかし世界は広いと思う.
コメント
最初、私も同じように考えてブログを書き始めたのですが、ボログを書いている途中で、はっと気づき、内容を変更ました。
手紙を受け取った人は知人全員に送るわけではないですから、35^5.5の計算はあまり意味が無いような気がします。
エントロさんコメントありがとうございます.
他の人からの初コメントなんでかなり嬉しいです.
35^5.5の有効性については,最初の人から派生する候補者数は35人ですが,一人に送った時点で残りの34人から繋がる人たちは除外されるので,確かに意味がないかもしれませんね.
しかし,この実験では住所,名前,写真が手がかりとしてあるので知り合い35人から常に適切な人物を選んでいったとすれば35^5.5の計算はちょっと意味を持つのでは?
という苦しい言い訳(笑
私のコメントでボログ→ブログの誤りですね。
失礼しました。
私も最初同じように考えたのですが、むしろ「5、6人の転送で目的地に到達できない手紙は気味悪がられたりして破棄されてしまうのかな」っと思ったりしています。
そうだとすると、全体が1万人でも1億人でも60億人でも結果は大差なくなりますからね。
届いてない手紙があるという点からのアプローチですよね?
大雑把に言ってしまうと,この実験は「見ず知らずの人へ手紙が到着するためには仲介者数が6人以内でないといけない」という事しか示してないって事でいいんですかね?
だとしたらその通りだと思います.35^5.5は出した手紙が100%届いてればの話になりますからね.
以前見た何人中継して芸能人へたどり着けるか,というテレビ番組が頭に合ったので,無意識のうちに”途中で途絶える”という事をあまり考えていなかったのかもしれません.
35^5.5のような式を持ってくる場合は到着率も考えないといけませんね.(それとも1通でも届かない手紙があったら意味をなさないのか?)
でもこの実験には何通出したのかの記述がないですね.いったい何分の42なんだ?この実験使えないなぁ…