振り返って我を知る

考察

海外に出て思うことの一つに「他の文化に触れて自国の文化を振り返る」事がある。
今回は中国に来て気づいたそんなエピソード。

自分の文化を改めて良いと感じる時もあるし、
今まで疑問にすら思っていなかった習慣にはたと気付かされる時もある。

前回のエントリーでも引き合いに出したが、
日本に居た時に見た番組で日本語と英語の比較が比較されており、
その中では日本語の方が良いというニュアンスで語られていたことがある。
月の数え方だ。
日本語は1月、2月…と数字を順番に並べるだけで表現できる。
一方、英語は1月はJanuary、2月はFebruaryといちいち覚えなくてはいけない。
日本語であれば5月に3ヶ月後と言って、すぐに5+3=8で8月と計算できるが、
英語ではそうは行かない、とTV番組の中では言われていた。
それを聞いて確かにそうだと自分でも思った。
元々8月だったOctoberが10月になってたりするので、ラテン語で考えても計算が出来る法則になっていない。

この点に於いて日本語は分かりやすい、数字化しない英語を始めとした言語はなぜそんな方法を取り続けているのだろうか、などと考えていた。
しかし中国に来て気がついた。
当たり前すぎて不便でもなんでもないことなんだ、と。

中国では曜日は数字で表現する。
月曜日…星期一
火曜日…星期二
水曜日…星期三
木曜日…星期四
金曜日…星期五
土曜日…星期六
日曜日…星期天(星期日)
こんな具合だ。

どうだろう、数字で順番に表現している中国語に対して、
日本語は(英語もだが)全て別の文字を当てており分かり難くはないだろうか。
私の場合実際分かり難いなどと考えたこともなかった。
慣れており当たり前になっているからだ。
しかし、先ほどの理屈で言えば、3日後が何曜日か簡単に計算できて中国語は便利、という話になるはずである。

不便ではない、そう言うものである。
これは月の呼び方について疑問を投げ掛けられた英語圏の人と同じ反応なのではないかと思う。

なんでJan、Feb…などと分かり難い表現を使うのだろうかと疑問に思っていた私だが、
自分も月、火…と分かり難い表現を使っていたのだ。

つまり、これらはいずれも分かり難い事は無いのである。

他の文化に触れて自分の文化を振り返る。
当たり前を客観的に見させてくれるから外に出るのは良い。

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